ラベル 福祉 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 福祉 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2015年8月28日金曜日

何を虐待とするか


時給200円も、障害者に「経済的虐待」


虐待の基準

何を虐待とするかというところもあるし経済的虐待と言うのも何か理解されにくい。そもそも福祉には契約を締結しない就労支援B型というものが法律で定められており、そこを対象としているならば200円の場所はざらにある。


福祉と一般会社では金の周りが異なる。

普通の会社は物を売って賃金を得るが、福祉の業界での助成金などを前提に考えている。だから金の回り方が異なる。

 それを知った上で、何を大事にするかが大事である。障害者の一般企業での就労に関しては場合によって経験を得ると言う場面でもあるからだ。

 だからたとえ賃金が少なかったとしても、経験として得られるものは賃金以上なこともあるのではないかと考える。

2015年8月12日水曜日

遊んで主体性を持って


ゲームで遊ぶ娯楽型の通所介護を規制へ…神戸市より


遊びは生きる糧

人間は遊ぶということで生きている部分があります。遊びがないと生きているという実感や気力がなくなるのかもしれません。

 ではどのような遊びが良いのかというと、誰しもが納得するような回答はありません。

 ただ短絡的な快楽を求めるためのゲームはすることに意味が無いと考えています。


行政主体の事業はつまらない 

介護の現場で細かく見ていくと軍人将棋なら良いのか?経営戦略を練る会議もゲームといえるのでは?など細かく見ていったらさっぱり基準がわかりません。

 ただ、後押ししているのは行政の方々なので、彼らからすると、できるだけ活動されるのは福祉予算が増えるため困ると考えられます。となると行政は活動を停止する側に回ります。

 もしくは停止させることは無いにしても学校の授業と同じように、みんな画一化されたサービスになると考えられます。すると利用者、職員もまったく面白みが無く、誰しもが活動をさせ“られる”状況になると考えます。


遊びの中身を確認。行政は後押し的な存在で。

ですから、というよりだからこそ介護の場合には、実際どのようなことをするのが良いのかを考える必要があるのかも知れません。

 遊びの形がまずいのではなく、遊びの内容はどうだったのかと考えることです。

 また行政は前に出てきて規制を押し出すのではなく個人の活動を後押しするようなそんな“舞台裏”的存在であったほうがよいのではないでしょうか。

 確かに行政が概念を出すことで活動が活発化しますが、伸びてきだした途端に規制規制では、せっかく育ってきたものも行政につぶされる、あるいは行にとって都合のいい存在になってしまう、と考えます。