ゲームで遊ぶ娯楽型の通所介護を規制へ…神戸市より
遊びは生きる糧
人間は遊ぶということで生きている部分があります。遊びがないと生きているという実感や気力がなくなるのかもしれません。ではどのような遊びが良いのかというと、誰しもが納得するような回答はありません。
ただ短絡的な快楽を求めるためのゲームはすることに意味が無いと考えています。
行政主体の事業はつまらない
介護の現場で細かく見ていくと軍人将棋なら良いのか?経営戦略を練る会議もゲームといえるのでは?など細かく見ていったらさっぱり基準がわかりません。ただ、後押ししているのは行政の方々なので、彼らからすると、できるだけ活動されるのは福祉予算が増えるため困ると考えられます。となると行政は活動を停止する側に回ります。
もしくは停止させることは無いにしても学校の授業と同じように、みんな画一化されたサービスになると考えられます。すると利用者、職員もまったく面白みが無く、誰しもが活動をさせ“られる”状況になると考えます。
遊びの中身を確認。行政は後押し的な存在で。
ですから、というよりだからこそ介護の場合には、実際どのようなことをするのが良いのかを考える必要があるのかも知れません。遊びの形がまずいのではなく、遊びの内容はどうだったのかと考えることです。
また行政は前に出てきて規制を押し出すのではなく個人の活動を後押しするようなそんな“舞台裏”的存在であったほうがよいのではないでしょうか。
確かに行政が概念を出すことで活動が活発化しますが、伸びてきだした途端に規制規制では、せっかく育ってきたものも行政につぶされる、あるいは行にとって都合のいい存在になってしまう、と考えます。
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