2015年8月16日日曜日

歴史は大事だがこだわりすぎるのは問題

戦後70年、続く歴史論議 靖国問題の収束見えず  安保審議にも影響  首相、中韓と修復模索より


歴史は長く続くが人は変わる。

日本は国家としては世界一長く続いているらしい。そうした意味で歴史は続いているが、人は死に構成も入れ替わっている。そうした中で国家の責任を個人として永遠に負い続けるべきかというと疑問がある。
 復讐の連鎖は終わらないように、こだわり続けることで終わりが見えなくなる可能性がある。

歴史は誰が収束させたくないか。

歴史問題に収束が見えないのではなくて、どこか収束させたたくないと思うことで誰かが何かしらの利益を有していると考える。特定アジアであろうし、歴史学者でもあろう。彼らは歴史が解決してしまうと食い扶持がなくなるからだ。


歴史は大事だが、こだわるのとは違う。

歴史は今後生きる意味で大事である。それを用いることで今後をよりよく生きられる可能性はある。しかし歴史を使うのと、それにこだわり続けるのは意味が違う。先日朝日新聞デジタルからあべ談話も全文見させていただいたが、ここでも、「過去のことを歴史として認識してわれわれが寄りよい環境を作っていこう」と書かれていた。まさにそのとおりだと思う。

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