2015年8月14日金曜日

自ら特異になって違いを見出す必要がある



参照:ロケットニュース

【動画あり】ニュース番組の生放送中に起こったハプニング9連発!より

 

メディアは給料に見合った仕事をしているか

海外の場合は多少事情が違うと思いますが、少なくとも日本ではメディアの人間になるということは優秀な人なのだと思われがちです。 ですからその分だけ給料も多くもらうこともあるのだと思います。

 しかそうしたメディアの方が多くの給料をもらうこと以上、つまり、給料に見合っただけの特異なことをしているかというと疑問です。
 それが人だけでなくメディアの内容にも表されていて、だからこそ世界的に見ても日本のメディアは閉鎖的だといわれている部分があるのだと思います。



なぜ閉鎖的なのか

こうした閉鎖さ具合はメディアの人間と国の管理を任されている者との深い関係性、同窓による他の排除があると一部で指摘しています。つまり学校などでも一緒に学んできたから親近感が湧くだから他のものを排除するといった部分があるのだと思います。

 また少なくとも現在の日本のメディアは多くがスポンサーの都合によって記事の書かれることが多く、つまり何かしらの偏向されて記事が書かれているからという部分もあるのでしょう。

 確かにそうした誰かしらの意図に沿って記事を書くことで自分の収入も上がりますし、相手の株も上がったりするのでしょう。しかしそれだとメディアが企業にとってのただの広告塔なだけであり、全く持ってメディアとしての意味を持っていません。

 また、全員が全員そうだという話ではありませんが、場合によっては、伝えてやっているのだ、という気持ちから報道を受ける側に対して傲慢になる可能性もあると思います。


いっそ独立した機関を有するのも一つ

そこで例えばアメリカで言うところの財団法人や経済研究所のように、企業を使うことはあっても、それに頼り切らない存在として真実を報道するようなところがあってもいいように思います。


メディアのありかたを我々の生活に応用してみる

翻って、私たちも誰かに意図されて動くるのではなく自分から積極的に動くことが重要なのだと思います。

 特異になってしまったと嘆くのではなく、むしろ自分から特異になってやる、くらいの気負いや勇気を持つことで生きやすい社会になるのではないかと思います。

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