「やりたいことが分からない」就活生が陥る致命的な3つの過ち
より
仕事をする機会が減っている
日本では大学進学率が高く、現在は多くの子供が大学に生き、学士を取得する。大学に行っている以上はいい会社に入りたいと思われる部分があるのかもしれない。
しかしそれだけでなく、現状を甘んじて受け入れよ、そこから何をつかみとるかも重要ではないかと考える。
なおかつての日本、明治時代の子供は、大学はおろか、高校さえ行くことなく、中学校や尋常小学校を卒業後はほとんど働きに出ていたという記録がある。(子供と遊び)
大学に行くことで得られること失われること
確かに大学へ行くことで物事を考える機会ができ、より高尚な学問を身に着けたり、そうした学問を通じて、より高尚な仕事につくことができる部分はある。
しかし万人がそうした仕事に向いているわけではないし、人間の違いがあることを知ることは必要である。
一方で学校の教育はあくまで理想的な話で、現実的ではないといわれている。 とすると可能性は育てられているものの、そのおかげで頭でっかちになっている部分から挑戦する機会を失ってしまっていると考えることもできる。
可能性をつぶしている学校という場
そもそも学校に行くことだけがすべてではない。仕事をしながらでも大学にいくことはできる。むしろ一度社会に出て「学びたい」という欲求に駆られた状態から学問を学ぶ姿勢を持っているほうが、ただ高校や中学のときの成績が良かったからという理由で大学に進学してきた人よりも得られるものが大きいのではないかと考える。
これは行動に責任を負っているということだ。と同時に目的を持って生きているとも考えられる。ちなみにこうした選択の責任を負うことや行動の目的を持ちながら生きていくということは、中学校卒業までになされる必要があるのかもしれない。なぜなら中学校卒業以降は選択することが多いから。
そこで過去に習う
つまり行動に目的と責任を持ち、仕事をすることから這い上がることも大切だということだ。
本気で仕事のすることを考えているのならば大学を休学して仕事で成績を残す方法もあるだろうし、その上で学ぶ必要があるならば復学して学ぶ方法もある。
いずれにしても、現在の自分の環境において何を掴み取るか、目的を明確化するかということが重要である。
大学生活でもそうだが、惰性で日々をすごしている場合は何も得られない。目的を明確化してこそその中身がわかることもあるのだ。(マインドマップ)
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