子どもの自殺、9月1日最多 夏・春休みの終わりに集中より
いじめはなくならない
いじめ自殺への第三者による対処は、原因を究明し、それを減らす科学的方法といじめと自殺をわけ、自殺を減らす社会学的方法とがあります。しかし良く考えてみるといじめは生物の生存競争と考えられます。ですからどんな原因撲滅策をとったとしても結局のところ無くならないと思います。なぜならいじめを否定したら生きる意味がなくなるからです。
逃げる方法
生きるためにいじめが発生していると考えるならば、それへの対策として極端に言うと①戦うか②逃げるかしかありません。前者は戦うことの苦痛は伴うものの以後の生活は快適にできる可能性があります。一方後者はそのときは楽ですが以後はつらくなる可能性はあります。
どちらの策をとってもいいとは思いますが、さすがにこの世から去る自殺が唯一の正解だとは思いません。自殺するくらいならどこか誰も知らない場所にでも逃げたほうがいいです。死んでしまうと以後の楽しいこともすべて無しなしになってしまいます。
自殺した生徒、その周りは?
そもそもいじめを自殺をしてしまうような子には回りに相談ができる人はいなかったのか、という部分に疑問がわきます。ケータイの普及、個人の尊重などがなされるようになるにつれ自分ひとりで責任を負うことが多くなっています。とするならばひょっとすると本来協力する善良な人でさえも敵と認識してしまう部分があるのではないかと考えます。
そのような誤った認識の子が自殺するのだとするならば、たとえ今、小中学生で自殺をしなかったとしても以後高校、大学、社会人など成長をしていっても常に自殺のリスクが付きまとう危険性があります。
策として真の友達を作る。
だとするならば、常にそうした自殺への道を踏みとどませられるような友達、何でもいえるような友達を作ることが必要になる気がします。つまり「真の友達」を作ることです。あるいは身近な人で真の知り合いを作る方法もありなのかも入れません。
表面的な友達、つまりその場だけを取り繕うような友達はできやすいです。しかしそうした薄っぺらい友達ではなく、良いも悪いも真剣に考えてくれるような友達フラットに付き合える友達ができれば一番いいのではないかと考えます。
そうした友達をネットで探してもいいのではないでしょうか。
ただし真の友達を作ろうと考える場合には自分がすべてさらけ出せる勇気を持つ必要があります。そうした勇気を持てるかどうか、またそうした勇気を受け入れられるか、といった状況の見極める眼は必常に必要です。
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